2013年1月16日水曜日

SSメモ:魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』

魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』(橙乃ままれ)

一体全体この「まおゆう」というSSをどう言葉で書き表せばいいものか。

夢中になって、ひたすらに繰り返し読み込んで、気がつけばこの「まおゆう」世界に魅了されて。勇者と魔王という古き良き題材への物懐かしさ、経済や近代化をテーマにした目新しさ、そしてSS全体から感じる「あの丘の向こうには何があるんだろう」という胸の高鳴りをひっさげ、いざこのSSの感想を口にしようとして。

――はて、自分は何を言おうとしていたのだろうか、と固まってしまう。

溢れ出る言葉の堰がまったく切れないんですよ。SSに対する感情が喉元まで出てきているのに、それを言葉という形に落とし込めることがいっこうにできない。これは困った。しかし、それでいてさらに困ったことには、言葉にできなくていい、と納得している自分がいるということ。たぶん言葉にできない、ということこそがこのSSに対して自分が抱いている感情のすべてなんだと思います。

まいったなぁ。いや、本当まいった。
魔王と勇者の二者関係を改めて見つめなおし、平和な世界への道(作中では丘の向こうと表現。超重要)を模索するというのがこのSSの大筋の流れなわけですが、これがすごいのなんの。これまでの勧善懲悪に疑問を呈する作品やファンタジー世界への考察作品とは違い、信念や思想などではなくあくまで経済という「理論」をもとに世界へ挑戦していく魔王と勇者の姿は、泥臭く地道ながらもそのひたむきさに焦がれるものがあります。紆余曲折、それこそ経済や人権、近代化といった話を経て、最後に超王道的な展開で風呂敷をたたんでくるストーリーなんて、もはや感動すら通り越して畏怖すら覚えるほどまさしく圧巻の一言。こんなのわくわくせずにはいられないじゃないですか。

魔王と勇者を取り巻く人達も実に魅力的で、一人一人がちゃんとこの世界の中で生きているんです。懸命に生き抜いているんです。このSS内で登場する人全員が、名前こそないけれども確かに世界に一人しか存在しない主役なんですよ。だから人が死ぬときはこんなにも悲しいし、その仇をうとうとする姿はこんなにも切ないし、こんなにも敵が憎く、それを受け入れる姿に心が打たれるわけです。もちろんいろいろ考えさせられる場面はたくさんあります。人によっては受け入れられない展開もあるでしょうし、近代化に対する批判や「丘の向こう」というテーマに対してちゃんとした答えを出していないシナリオに激情を覚える人もいるでしょう。目を皿にして親の敵を探すように物語の粗を探せばいくらでも見つかるかもしれません。

でもだからといってこのSSの面白さがそれで損なわれることなんてなく、むしろこうやっていろいろ考えさせられたり意見を抱いたりすることこそに、このSSの魅力ってものが詰まっているのだと思います。「まおゆう 考察」などでググればわかると思いますが、近年でこれほど多くの人に考察・絶賛・批判されているSSはまず他にないと思います。つまりそれだけこのSSはいろんな人に読まれ、考えることを促し、その上でアニメ化するまでに人を巻き込んでいるんです。単純なSSとしての魅力もさることながら、考えることの面白さを提供しているという意味で、SSとしてまさしく理想的で完璧な作りをしているのではないでしょうか。もしこの作品を読んで何かしら思うところがあれば、きっとそれは作者の思う壺にハマっています(笑)

いつかの日か、自分がこのSSの感想をはっきりと言葉で表せた時。
その時初めて自分はこのSSの魂胆に気づくのかもしれません。もしかしたら魂胆なんてものないのかもしれませんが、きっとその時はその時で魂胆なんてない、ということに気づくでしょう。その段階こそが、きっと今の自分にとっての「丘の向こう側」なんでしょうね。

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